能登を美食の半島へ。割烹 宵待 川嶋 亨さん

お店

和倉温泉のと楽 割烹宵待 料理長  川嶋 亨さん


1984年に和倉で生まれ、高校時代まで野球漬けの日々を過ごす。大阪の辻調理師専門学校エコール辻日本料理課程に進み、首席で卒業。その後大阪・京都で計13年間、ミシュラン星付きの日本料理店にて修行をする。卒業して7年目の28歳の時、食の都・大阪グランプリに出場し、全国のプロの料理人約300人が競う中、3度目の挑戦で総合グランプリに選ばれる。2016年の春に故郷である七尾に帰ってきて、現在は和倉温泉のと楽にて、割烹宵待の料理長を務める。

料理人の世界に入るまで

高校を卒業する頃、「人に喜んでもらう仕事がしたい」という想いを持つようになり、自分の本当にやりたい事を探そうと短大に進んだ。父が料理人だったので、幼い頃から意識をしていたのだと思います。短大を卒業する頃には、本腰を入れて自分も料理人を目指そうと決心しました。それからは日本料理の道を真っすぐに突き進んできました。その後大阪で10年間、京都で3年間、日本料理店に就職し、心身共に修行させて頂きました。今働いている割烹宵待はのと楽の旅館の中にありますが、宴会形式とは別のレストラン形式の日本料理店なので、自分の今まで培ってきた技術を存分に活かせる場所です。

一人一人のお客様に合った調理で喜んで頂きたい

関西で過ごした13年間では、4つの店に就職しました。初めの店では、7年間、日本料理の基礎を徹底的に学びました。2つ目の店では勢いのある料理、京都では繊細な技術、最後には接客・経営と、全ての店で日本料理の奥深さを学びました。これらの経験を活かして、来てくださったお客様に笑顔になって頂けるよう、一人一人に合った調理をお出しするよう心掛けています。その中でも自分が最も得意とするのは「素材の良さを生かしたとことんシンプルな料理」です。日本料理を今の若い世代の人々にも食べてもらいたいですね。

   

能登を元気に!「能登の食」をこの地から発信する

「能登の食を全国に発信したい」という想いは、学校に通っている時も修行している時も、ずっと頭の片隅にありました。関西にいた頃、故郷の嬉しいニュースが飛び込んできました。それは、2011年に能登の里山里海が世界農業遺産に認定された事です。北陸新幹線の開業も控えていたし、これから能登の素晴らしい食材が全国的に注目され、人がもっと能登に押し寄せるのだろうなと思うととても嬉しく、これからの能登の動きに期待していました。なので、このまま大阪で自分が活躍し、能登の食材を使用することで「能登の食」を発信することを考えていた時期もありました。

しかし、それから3年間経っても、残念ながら人材不足・害獣や災害等の問題がなかなか解決されず、大きな動きは見受けられませんでした。そんな姿を見ているうちに、このまま大阪にいるよりも自分が実際に能登に帰り、能登で料理をする方が何かできるのではないか、「能登の食」を発信できるのではないかと考える様になり、能登に帰ることを強く決心しました。

生産者の方との信頼関係

能登出身ではありましたが、帰ってきた当初は生産者の方との繋がりが何もなく、思うように食材を集めることが出来ませんでした。目の前に生産者の方がいらして、野菜があるのにその野菜が手に入らなかったのです。地産地消をすることで「能登の食」を発信する事を目標に帰ってきたのに、どうしようかととても悩みました。しかし、何度も足を運び、想いを伝える内に、少しずつ仲良くさせて頂けることができ、その方がまた別の生産者の方を紹介して下さったりして、どんどん輪が大きくなっていきました。今ではお陰様で多くの方に協力して頂いています。また、私が生産者の方に直接「お客様が美味しいと言われていましたよ!」等とお客様の感想を伝えることで、「よし!今度はこれを作ろう!」「川嶋さん、これ新しいもの作ったから感想聞かせて!」といった様に新しいことに挑戦するきっかけになっている様に感じます。活き活きとしている姿を見ることができて、とても嬉しいですし、お互いに良い関係を築けるようになりました。

また、輪が広がったおかげで、仕入れだけではなく、流通や食の監修などにも携わる機会も頂くようになりました。少しずつではありますが、着実に生産者の方や食に関わる全ての方の「能登の食」への意識が変わってき始めているのではないかと思います。これからはこの輪をもっと他の料理人さんや生産者の方と広げていければ、さらに大きな力になるのではないかと信じています。

能登を美食の半島へ

私の夢はこの能登を世界から集まる美食の半島にすることです。他県にいると、“石川県は魚が美味しい”というイメージを持たれている方が多いと思います。もちろん魚は美味しいです、けれど野菜もとても美味しいです。能登は本当に食の宝庫です。他県で全国から集まって来た一流の野菜を見てきましたが、それらの野菜に負けていないものがこの土地にはあると自信を持って伝えたいです!この地に生まれ育った私だからこそ、能登の食文化を発信できることがあると考えています。

能登を美食の半島にする夢を、自分一人の力だけで叶えるには難しいかもしれません。しかし、この地の良い所は、周りの方がすぐ協力してくれることです。近年、能登には自分の世代のぐらいの若い人が分野を超えて集まり、皆それぞれの専門分野で能登を発信しているように見受けられます。私の取り組むべき分野である食文化を発信するためには、料理人が先頭に立ち、異分野の方々と共に地方が抱える様々な問題を解決するよう取り組み、新しい地域の未来を作ることが必要だと考えます。そして、今の能登にはそれができる人材と体制があります。昔から野球をしていたからなのか、チームで一つの目標に進んで行くことが好きです(笑)。私は料理人として中心になり、周りを支え、支えられながら、「能登の食」をチーム一丸になってこれからも発信していきます。

能登を美食の半島にするまで、挑戦し続けますよと笑顔で語る。彼の人に喜んで欲しいと思う素直な気持ちが、周りの人々の心を突き動かし、これから益々多くの人を感動させるだろう。

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