能登島ののんきなレストランへようこそ。能登島Sans-souci(サンスーシィ)長竹幸子さん

お店

能登島Sans-souci
長竹 幸子さん


東京都出身。
19歳のときから、働いていたフランス料理店でご主人の俊雄さんと出会い、後に結婚。
夫婦で5年間、東京赤坂にてフレンチを営み、人気店へと成長する。
その後、店を後輩に譲り、カフェチェーン展開事業やホテル経営に携わる。
2014年に能登島に移住し、能登島Sans-souciをオープン。
ワインソムリエ・チーズコーディネーター



幸子さんは東京生まれ。ご主人の俊雄さんは栃木県生まれ。
お二人の出会いは、東京赤坂のフランス料理店。互いに19歳の頃から、その料理店で幸子さんはソムリエとして、俊雄さんはコックとして修行を積んだ。俊雄さんは24歳から2年間フランスに渡った。
婚前旅行として行ったフランス一周旅行。その道中、スイスやドイツとの国境が近いアルザスの一本道にあったレストランは、今でもお二人の原点だ。
空腹の2人の前に現れたそのレストランは、全てが魅力的だった。周りに何もない場所。にも関わらず満席の店内。豪快で元気なマダム。コース料理とワイン。もぎたてのリンゴ。
「あのワイワイ感、国境を全く感じさせない雰囲気、全てに影響を受けました。実は店の名前のSans souci(サンスーシィ)は、のんきな、憂いがない、気兼ねないという意味があるフランス語。その店が私たちのベースなんです」

”いつか、あんなお店を出そう。”
帰国後も修行を続けた2人は、29歳で東京赤坂にお店をオープンさせる。

赤坂のSans-souci


オフィス街に構えた赤坂の店では、“毎日がフランス料理”をコンセプトに、安い値段で勝負に出た。毎日メニューを変えるなど、趣向を凝らしたランチは次第にサラリーマンやOLの心を掴んでいく。夫婦二人っきりで切り盛りし続けた店は、行列ができるほどの人気店になる。
その頃から、地方で店を出したいという思いが強まっていく。
「自然に生えているものが一番美味しいという考え方だったので、週末は地方に山菜やきのこをとってきて、日曜日に仕込みをしていました。それで山菜フェアやきのこフェアもしてましたね。そんな生活をしてたら、やっぱり地方でお店やりたいねって。あと、同じ時期に当時の店に限界を感じ始めました。夫婦二人だけで仕事をする想定で作った店なので、アルバイトを雇うこともできないぐらい狭くて(笑)これじゃあ、料理以外の社会的な貢献はできないなって感じてました。」
社会勉強をもっとしたいという思いもあり、5年間続けた赤坂の店は後輩に譲って、夫婦揃ってカフェのチェーン展開をしている会社に就職した。同時期に、俊雄さんは監修を頼まれた和食料理屋がきっかけで、定置網や漁師の世界にのめり込む。
それから、海が近い場所に移住できないかと考えて、全国を回り始めた。


広島や糸魚川、氷見など魅力的な場所はたくさんあった。
「でも、日本の国道線沿いはコンビニがあって商業施設があって、どこにいっても同じ顔をしてるじゃないですか。フランスって、地域に行くと赤い屋根の町があったり石でできた町があったり、雰囲気が変わるんですよね。日本はどこも一緒。だから、国道線沿いから離れた僻地、それこそ人里離れた場所がいいと思っていたんです」
ホテルの管理業への転職などもあり、全国を転々とする日々が続いた。
富山で働いていたとき、ついに理想の場所を発見する。それが”能登島”だった。
「最初は、能登半島に島があることも知りませんでした。二人とも元々島好きだったので行ってみようと。そしたら、国境のような大橋を渡り、コンビニもなく、矢竹が茂る道を走ってこの物件にたどり着きました。海が見えて、木の板と黒い屋根瓦の家。ロケーションは最高でした。2階から見ると電線すら視界に入ってこないんですよ。ここにしかない風景なんなだなって感じましたね」
定置網にハマっていた俊雄さんにとっても、能登島の定置網漁は魅力的だった。
そうして、すぐに家の購入が決まった。

”島の風景”

4年前、家を買った能登島に移住してきた。
幸子さんは、能登島の風土も気に入っている。
「海も山もあり、狭い土地で田んぼも守っている。潮風もいいですよね。あとは、文化。この島は北前船のための木材を作っていて、木を切るときは神様にお伺いをたてていたそうです。そのことは大伴家持が歌にも詠んでいる。そうやってみると、この島は本当に信心深くて神秘的な島だと思います。祭りでも、山の神や海の神を祀っている。ここにいると、とても自然神との接点が近いように感じるんです。」
島に来てから、幸子さんは能登の豊かな自然を守りたいと考え、能登里山里海マイスターの資格も取得した。俊雄さんは近くの漁師に頼み、一緒に漁に連れて行ってもらうようになった。近隣の人たちは毎日のように話しかけてくれて、コミュニケーションは絶えない。そんな毎日に2人は幸せを感じている。

”目指すは「食の景勝地」



島の豊かな自然を守っていきたい。そして、次世代にこの島を伝えていきたい。
そんな想いを持つ幸子さんは、祖母ヶ浦を「食の景勝地」にしたいそうだ。
たけのこのや田んぼ、海藻といった島の資源に注目して、素晴らしい里山と里海を残すための取り組みを行っている。
「能登島の自然を残していかんとどーするんだって言いたいですね。海と山が近いから、山が汚くなると、海にすぐ流れ込んでしまう。海山両方を守っていかないと」

”ここは懐かしい場所


移住者として、島の住人として、「能登島Sans-souci」を営んできた。
島の先っぽにあるこの小さなレストランは、一日一組に限って客をもてなしている。
予約は常に一杯だ。
「この店は、日本人が忘れてしまった本来の暮らしを懐かしんでもらう場所です。だから、塩は手作りだし、梅干しも味噌も鰹節も手作り。今でこそ非日常だけど、昔は日常だった風景を思い出してほしいです。忘れてしまった信心深さとかも含めてね。色んな意味で、人間らしさを取り戻せる場であり続けたいですね」


島を訪れる人たちは尽きないだろう。
夫婦2人、これからも能登島の懐かしい風景を守りつつ、島の先端で灯りを灯し続けている。

ホームページ:
https://www.notojima-sanssouci.com/

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